鎌倉時代から室町時代には、京都の貴族が古典研究や有職故実の学問の担い手となっていた。しかし、都の衰退と共に、仏教寺院や学識僧が徐々にその担い手として台頭し、その中でも鎌倉五山を中心とした五山文学はその代表である。
また武家階級という新たな社会層も、自らの後進のために、学問を身につけるための施設、学校の整備に配慮するようになり、鎌倉時代には北条実時が金沢称名寺(現、神奈川県横浜市金沢区)に金沢文庫を設置し、多くの文書を収集した。また、遅れて室町時代には関東地方において上杉憲実が足利学校を再興する。これは、キリスト教の宣教師たちに「坂東の大学」といわれ、当時の日本の中心的な学校と考えられた。また西洋人の目からみて、その当時の代表的な学校は、他に高野山、比叡山などがそれに並べられていた。
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庶民の間では、芸事や趣味の道が次第に洗練されたものになり始め、『風姿花伝』のように芸の道を人間の道と重ね合わせて修行のありようを考えるという視点も、この武家階級の時代の産物である(芸道論)。
江戸時代中期の教育は教育機関となる区分が存在せず、幕府によって選定された人物が学問の研究を行い書物を刊行し、士農工商の階級社会の中で自学自習するといったことが行われていた。